さて、Windowsパソコンをバリバリ使っていた私がMacを使うとどうなるか。少しずつレポートしてみる。
先ずは購入したMacBook Proの筐体。手間のかかるアルミの削りだしで作られている。剛性はとてもVAIO Type Zの比ではない。ガチッとしているというか、アルミのサイコを持つような感じだ。とてもソリッドだ。本体の隅を片手でつまむように持ち上げても軋む音がしない。VAIO Type Zとは対照的だ。
MacBook Proは同じ液晶サイズのパソコンと比較すると重たい。液晶が13.3インチで2.04Kgもある。最初、店頭で持ち上げた時に思わず「何これ?」と思った。ズッシリと感じるのだ。しかし、購入して1日経つと気にならなくなった。慣れたというか、そのアルミの削りだしと重さのイメージが合致するようになった。
液晶を開くためには力がいる。重厚な自動車のドアを開ける雰囲気に似ていると言えば伝わるだろうか。液晶側が撓まないのでしっかり感が高い。
そして開いた液晶面は全面ガラスで覆われている。多くのノートパソコンは透明なアクリル板で液晶を保護しているが、MacBook Proのそれは私を唸らせる。ガラスを使うことでクオリティが高く感じるし、撓むようならばガラスは使えないからだ。しかし、ガラスにコーティングしていない。しっかりと周りを写す。これには賛否両論になりそう。
う~ん、この設計は日本人にはできないとさえ思わせてしまう。こんなアルミの削りだしだと、設備費用の回収に数年はかかってしまう。すぐにモデルチェンジをしたい日本人だと、何年もデザインが固定されてしまう筐体のデザインは避けるだろう。また、ガラスを使ってしまうと、反射が気になってコーティングをしてしまう。他にも色々と考えてしまって、きっとコストが高くなる。例えばコネクターと筐体のつながり部分とか。でも、MacBook Proの割り切り方は美学を感じさせてチープなイメージは与えない。
この存在感は圧倒的だ。電源を入れなくても、置いているだけで満足感が得られる。実に不思議だ。これがMacなのかと関心をしてしまう。マーチンギターもそうだが、MacBook Proにも魂を感じる。
撮影:Canon EOS 50D EF100mmF2.8マクロ
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