2010年3月2日火曜日

フォトコンで一席を取ったので

休みの日、中学からお付き合いのあるカメラ屋さんへ行ってみた。

中学からお付き合いのあるカメラ屋さんと言っても高校を卒業してからは行っていない。せっかくお世話になったのに縁がそこで止まっているのはもったいない。何かの切っ掛けがあればと思っていたのだが、雑誌に載ったのでこれを機会にと行くことにした。

久しぶりに行くカメラ屋さん。学生の時はチャリンコに乗って良く寄ったものだ。カメラ屋さんに入ると、そこには必ずその人は居た。そしていつも笑顔で暖かく迎えてくれた。

その当時、中学生の私に懲りもなく毎回1時間以上のカメラ談義。今さらながら気がつく、そのありがたみ。私の話し方はその人から勉強をさせてもらったと思っても良い。

そんな記憶を思い出しながら、私は車で向かった。お店に入ると少し老けたその人は記憶の通りにそこで待っていた。きっと、その人も私を見てそう思ったのに違いない。

そして記憶をトレースする感じでカメラ談義が始まった。昔と違う点はカウンター越しの立ち話でない点。丸テーブルと椅子に座ってのカメラ談義だ。

相変わらずな受け身的な会話と肯定的でもあるが、筋の通る考え方を主張して情報を提供する話方。それは昔のままだ。

時間の経つのは早い。カメラに関する、いや写真に関する考え方を2時間ほど述べあって別れた。そのあたりも昔と同じ。そして別れる時に店の外まで出てきてお別れをしてくれた。昔はいつも寄っていたので、こんな別れ方はしなかった。店の中だ。嬉しくもあったが少し寂しさを感じて車に乗った。

自宅に帰ってから「お店」って何だろうと考え始める。このテーマ、今まで真剣に考えたことがなかった。今ある多くのお店はそんなことを考えさせない。モノ中心のお店だ。それは当たり前であるけれど、本来はお店って人と人が接するところではないか。その為にはお店の人っていつも待っていないといけない。

そして、来る人に合わせて知識や技術を身につけないといけない。その裏付けとしての商品。この知識や技術が足らないと、お店の価値は価格だけになる。今の不景気、価格勝負は重要だけれど、お店の価値と考えるとそこに本質がある気がする。

その分野で情報共有できる場。それが私の好きなお店のあり方だと思える。私がゲームソフトを作る機会を与えてくれたお店もそうだ。情報共有のために年代を超えて人が集まった。その結果としてゲームソフトが作れた。売れた。

ただ、今はインターネットもあるし価格勝負にもなっている。お店の価値を情報共有だと言っても、単純に売上げに結びつくとは思えない。そこには商売をする人のオリジナルな、今風の考え方が必要だろう。

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