小学生の頃、飼っていた手乗りセキセイインコが居なくなってから、空を見上げたり、芝生の中などを見て回った。しかし、ため息しか出ない。ボーッとした日々が続く。
親はそんな私を見るに見かねてか、手乗りセキセイインコを買いに行こうとお店に誘った。子供心ながら、それは諦めることを意味していると理解していた。だから躊躇した。でも寂しさには勝てない。
そして新しい手乗りセキセイインコがやって来た。
同じ様にお湯で粟を柔らかくして与えた。手乗りセキセイインコも答えるように一生懸命に食べた。私も一生懸命に与えたと思う。そして手乗りセキセイインコは飛べるようになった。
今度は反省を生かして風切羽は切ることにした。最初は切ると血が出るのではないかとドキドキした。セキセイインコの本を見ながら用心して切った。切ってみると血は出ないし、別に気にする様子もない。嬉しかったのは切っても部屋の中ぐらいは飛べる。
ただ、セキセイインコにも個性があると気がついた。
同じ様に芸を教えるが覚えようとしない。フンは所構わず。鳥は飛ぶ時にフンをするので、私の背中にはフンがいつも付いていた。また、同じ様に育てたハズなのに手乗りとは思えないぐらい人見知りも強くあまり鳥籠から出ない。
やがてこの手乗りセキセイインコは大きくなると、鳥籠ごとベランダに移されることになる。そして後に番となるのだが、ペットショップと間違われるほどに子孫を増やしてくれることになった。
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