2009年10月8日木曜日

ハトが庭で死んでいたそうな

ハトが庭で死んでいて、暫くするとカラスが何羽もやって来て、そこにはハトの羽だけが残ったそうな。そして台風前の風が吹き、その羽もどこかへ飛んで行ったとか。

よく飲み会の席などで野鳥の話を人にすると、「野鳥の死体を見たことがない」と話が割とある。確かに私自身も野鳥の死体を見るのは飼い猫が銜えて帰ってくる時ぐらい。

さて、庭で死んでいたハトの死因はあまり考えたくはないが、野鳥が死ぬと直ぐにそれを食するモノが現れて跡形もなく消し去る。自然の摂理だ。それは生きているモノに継がれる。悲しんでいる暇は与えてくれない。だから野鳥が多く生息していて、それが人と比べて短命であったとしても死体を見る機会はほとんどない。

こんな話を書いていると小学生の頃を思い出した。

夏の暑い日、友達と歩いてると側溝にハトが死んでいた。そのころから鳥が好きだった私は日常からかけ離れた光景にショックを受けた。ショックのあまりハトがまだ生きていないかと、期待してハトを凝視した。

凝視した先には動くモノがあった。何だまだ生きている。どうにかしなければと思った。しかし、その動くモノは生きてる証ではなかった。それは皮膚の下でモゾモゾと動き、数え切れないぐらいの数で、目の前で皮膚を突き破って出てきた。私はこれが蛆かと理解した。

何だか悲しくなり、大急ぎで家に帰って、ハエ用の殺虫スプレーを片手にその場所に戻った。ハトはもっと凄いことになっていた。私は友達と一緒に泣きながらスプレーした。スプレーが空になるまで続けた。それでも動くモノは止まらなかった。

どうにもならないことに気がついた時、私はハトの死を受け入れることができた。近くに穴を掘って埋めてやる。それが私のできること。それ以上は何もできない。私と友達はスコップで穴を掘った。

今の私だったら埋めることもしないかも知れない。あの時よりも死を見つめることができるし、そのあとの役割も分かっているから。

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