2009年11月12日木曜日

コンテンツ(contents)の価値

インターネットにコンテンツが流れるようになって、コンテンツの価値がすっかり低下してしまった感じがある。

レコードを知っている世代なら、なおさらそう感じているだろう。昔はレコードの針を下ろす瞬間はドキドキしていたし、レコード一枚一枚を大切にしていた。今では携帯などに、これでもかというぐらい音楽を保存している人も多いだろう。

昔に比べたら本も低下したかも知れない。多くの情報がインターネットで閲覧できるからだ。以前と比べて雑誌は買わなくなってしまった。しかし、雑誌以外の本については所有欲があって、私は思わず購入をしてしまう。

私は写真を買ったことがない。雑誌とか、サイトなどから目に飛び込んでくるので満足している。美術館に行っても「凄い」と思うことはあっても買うまでの衝動にはならない。

映像はどうだろう。一般的に売っている映像はDVDか。これも借りることがあっても買うところまではいかない。多くは映画館、テレビ、インターネットで事が足りている。

絵はどうだろう。印刷された安価な絵は買うことがあるが、巨匠レベルの絵までは買おうとも思わない。いや、買えない。興味があっても価格に距離感がある。

気がつくとコンテンツとはそんなモノかも知れない。コンテンツそのものにお金を払うと言うよりは、コンテンツを流通させるシステムにお金を払っている感がある。それは昔からだ。

だから、コンテンツを流通させるシステムがインターネットによって、安価にできるようになれば、コンテンツを入手するコストも下がるし、安易に入手可能であれば所有欲も薄れてくる。欲しい時に手元に持ってくれば良いのだ。

こう書くとコンテンツを作っている人達には大変失礼かも知れない。でも、多くのコンテンツは昔からそうだったと思う。

写真は最たるモノだ。写真はコピーが前提なので、写真そのものは価格を持たない。よほどの事がない限りはお金を払ってまで買う人はいない。

コンテンツ。軽くなったと言われるが、多くのコンテンツの本質は昔から変わりはなく、それはインターネットによる流通革命で身近になったことを意味すると思う。

だから私はコンテンツの価値は昔から変わっていないと思う。
変わっているとすれば流通の価値だろう。

2 件のコメント:

  1. 流通の形態が変われば、流通の価値は変わるし、
    消費する層が変われば、好まれるコンテンツも変わる。
    これは、流通の形態に馴染むものに、人々の嗜好が移る・・・といってもいいかもしれない。
    ただ、よく目を凝らしてみれば、コンテンツの価値そのものは、さほど変動していないのがみえては来ないか?
    ・・・と、個人的には思っています。
    モードにうるさいファッションにしても、ある程度の年数を経て、モードは戻ってくる。
    正確には同じものではないので、傾向がスパイラルしているといった方がいいのかもしれない。
    各種のコンテンツも同様ではないだろうか。
    レコード、CD、ネット配信・・・流通の形態は異なれど、そこに乗っている音楽のモードには、スパイラルの後がみられる。
    ・・・であるならば、コンテンツを活かす「流通の仕組み」、言ってみれば「メディア」の仕組みを効果的な形に動かして言ってやることが必要だろう。
    少なくとも、これを可能にし、基盤を支える技術は先行して生み出されているのだから、組み合わせの問題だ。
    難しく考えるから、難しいだけで、発想の原点は至って単純だ。
    ただ、アタマの痛いことは、誰をプロデューサーに据えるか!?というヒューマンソフトの部分だろうなぁ(苦笑)

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  2. 流通の形態が変われば、流通の価値は変わるし、
    消費する層が変われば、好まれるコンテンツも変わる。
    これは、流通の形態に馴染むものに、人々の嗜好が移る・・・といってもいいかもしれない。
    ただ、よく目を凝らしてみれば、コンテンツの価値そのものは、さほど変動していないのがみえては来ないか?
    ・・・と、個人的には思っています。
    モードにうるさいファッションにしても、ある程度の年数を経て、モードは戻ってくる。
    正確には同じものではないので、傾向がスパイラルしているといった方がいいのかもしれない。
    各種のコンテンツも同様ではないだろうか。
    例えば、レコード、CD、ネット配信・・・流通の形態は異なれど、そこに乗っている音楽のモードには、スパイラルの後がみられる。
    ・・・であるならば、コンテンツを活かす「流通の仕組み」、言ってみれば「メディア」の仕組みを効果的な形に動かして言ってやることが必要だろう。
    少なくとも、これを可能にし、基盤を支える技術は先行して生み出されているのだから、組み合わせの問題だ。
    難しく考えるから、難しいだけで、発想の原点は至って単純だ。
    ただ、アタマの痛いことは、誰をプロデューサーに据えるか!?というヒューマンソフトの部分だろうなぁ(苦笑)

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