2010年4月30日金曜日

日本のコンピュータメーカー

コンピュータを作ってコンピュータを売る。この産業にも日本企業は頑張った。

国内のパーソナルコンピュータでは主にシャープやNEC、富士通、日立、東芝、カシオが頑張った。

その頃のパーソナルコンピュータはメーカーが頑張ってハードもソフトも共通のモノではなかった。そのため、使えるソフトがどれぐらいあるのか、その数を競っていた。そのため充実したソフトを多く使えるパーソナルコンピュータが多く売れた。

この時代はハードとソフトを一緒に考えて販売戦略をしていたし、購入者もハードとソフトの両方を評価して買っていたと言える。

ある時からIBMがパーソナルコンピュータ市場に乗り出した。そしてIBM仕様を定めた。しかし、IBMはお金を使わなかった。既存のハード技術と基本ソフトはマイクロソフト社に開発をさせた。IBMの支配している大型コンピュータ市場からはパーソナルコンピュータの市場はオモチャのように小さく本気になれなかったと思う。

そのため世界中のパーソナルコンピューターメーカーはIBM仕様に準拠することができたのだ。

IBMと同じ仕様のハードを作って、マイクロソフトから基本ソフトを購入。それでIBMと同じソフトが使えるパーソナルコンピュータになる。一気にIBM互換機が世界中のハードメーカーから販売された。

当然、IBM製のパーソナルコンピュータより安く買えるので市場もIBM互換機を買い求めた。これによりハードメーカ独自仕様のパーソナルコンピュータはAppleを除いて売れなくなってしまった。

この時にAppleが生き残れたのは既に取って代われない素晴らしいソフトウェアがあったから。この素晴らしいソフトウェアはIBM互換機とマイクロソフトでは動かない。だからハードが高くても一部の人たちはAppleを買い続けた。

その頃、日本国内はNECが市場を制していた。IBM互換機では日本語処理が不足しており、日本市場に参入はできなかった。

それから数年。IBMはDOS/V仕様を策定する。それはハードを追加すること無く、基本ソフトで日本語(漢字)表示を可能にした。当時は斬新的なアプローチ。漢字を表示するのにはハードの追加が必要だったからだ。

ソフトで漢字表示ができると事態は変わる。今までは漢字表示のためにハードを追加すると互換性がなくなり使えなかったが、ソフトで実現しているとアメリカで開発されたソフトがそのまま使えるようになった。

これにより日本国内の日本ハードメーカーのパソコンは急速に売れなくなった。ただ、DOS/Vを策定したIBMもIBM互換機に押されてハードは売れなくなる。

また、OS/2というマルチユーザーベースの基本ソフトをマイクロソフトと共同開発するが、Version2まではIBMブランドで発売、Version3からはマイクロソフトが単独でWindowsNTとして発売した。その後、このWindowsが世界を制することになる。

ハードはどこのメーカーを買っても、あまり違いがなくなってしまった。それよりも基本ソフトでパーソナルコンピュータは大きく違ってしまう。多くの人は主流になり始めたWindowsを選び、ハードの違いはあまり意識することなく購入した。

ハードもソフトもオリジナルを持たない日本メーカーは価格競争に勝たなければ残れない状態に陥った。これがパーソナルコンピュータのガラパゴス化である。また黒舟の来襲とも言われている。

普及すると価格競争になって、より多くを作っている海外メーカーに負けてしまう。でも、世界に通用するオリジナルを持っていると世界制覇はできるけれど、ガラパゴス化して世界標準になれないと開国したときに負けてしまう。

自動車産業とカメラは立ち上がりから海外市場で頑張って来た。パーソナルコンピュータは国内市場だけを見ていた。携帯のハードは海外の特許を使って作って、ソフトはオリジナルを持たせたような感じだが、インターネットの技術を流用しただけで、重要な基本ソフトは内製をしなかった。

ある意味、携帯はガラパゴスではない。多くの特許と仕様を輸入して日本市場向けに作っている。だから海外製の携帯も輸入して、そのまま販売することが可能だ。

(続く)

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