日野川の土手を歩いているとウグイスの心地よい囀りが聞こえてきます。その囀りは「ホーホケキョ」とか「ケキョケキョケキョ」とかになりますが、よく聞いていると囀りに個性を感じます。
そこで図書館から借りた本を読んでみると、ウグイスは囀り方を練習して上手くなるとのこと。下手な囀りはその年生まれた若いウグイスだとか(笑)
へぇ~、ウグイスも一生懸命に練習するのかと思うと、何だか可笑しくなってしまいました。
後日、感心しながら日野川の土手を歩くと、「おっいたいた。下手な奴」とまた笑ってしまいます。
人間もそうですが、思うだけでは力不足のところがあります。繰り返し時間をかけることで、それは近くなってくると思う次第です。
昔、学校教育に「ゆとり」と言われましたが、あれは子供たちの「ゆとり」ではなく、先生や保護者が結論を急がずに「ゆとり」をもって育てていけるかが重要だった気がします。子供たちはウグイスのように一生懸命に時間を惜しまず練習や失敗を繰り返す場が学校だったと思います。学校教育に週休二日はいらない。子供たちには学びの貴重な時間です。それを大人の都合に合わせて理由をつけてしまったような感じさえします。
「ゆとりをもって見守る」は勉強でも遊びでも悪戯でも家事手伝いでも、全てだったと思います。育てるとはそんなことを言うのではないでしょうか。
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